Varanasi

ガンジス川では、沐浴も洗濯も死体の火葬もすべていっしょです。生と死をあたりまえのように飲み込む場所なのです。河岸のガードは、沐浴する巡礼者でいっぱいになった。聖地ベナレスの朝は早い。聖なる川ガンガー(ガンジス川)で沐浴する為に、印度全土から年間100万人を超える巡礼者が集まる。ガンジス川の川岸にあるベナレスという町は火葬場の町である。毎日のように死体が運び込まれガンジス川の川岸で火葬される。ヒンズー教徒たちはこのベナレスで火葬されることを望んでいる。ヒンズー教では生きていることは苦しみである。ここで死ねば生き返ることなく永遠に天国へ行けると信じている。


ガートの夜明け

洗濯屋さん



みやげ売りの船

ガンジス河の水を真鍮の小瓶に入れ持ち帰る









ガンジス河に降りられるように階段状に整備



マニカルニカーガート(火葬場)

魚を獲る

その魚を売る。それを我々が放生する
日本の社寺境内にも放生池がありこの教えが伝えられている





ガンジスに昇る太陽

僧侶が時を告げる



ヒンドゥー教徒にとって、「この地」で荼毘にふされることこそが最高の栄誉









拡大

















チェット・シング・ガート・ガンジス河のガートには、火葬場が2カ所

独りだけの沐浴



散髪屋さん





















歯磨きの木を売る人



外の騒音と雑踏とは正反対、時間が止まったような静寂、ベナレスの高級ホテル










インドの国花、ダリアの数々

















バラナシ動画




ホテルの窓から見る朝日

バナーラス・ヒンドゥー大学



正門

バングラデイスの難民



ガンジス河に遺体を運ぶ人
















四大聖地の1つ
サールナート スクーパー
紀元前5世紀

仏教発祥の地
釈迦が始めて説法をした「初転法輪の地」である
釈迦は現在ネパール領の「ルンビニ』にて、釈迦族の王子として生を受けました。
成長し、結婚して子を設けた釈迦ですが、彼はやがて世に無常を感じるようになり、
出家(仏法僧としてではなくバラモンとして)します。
最初バラモンとして山で荒行を繰り返していた釈迦ですが、それらの修行では悟りは開けないと判断し、
山を下りてガンジス川で沐浴した後、ベナレスより少しガンジスを下った「ブッダガヤ」の
菩提樹の下で瞑想し、ついには悟りを開きます。悟りを得た釈迦は、
ベナレス近郊にあるこの「サールナート」でかつての修行仲間だったバラモン相手に初めての説法を行いました。
その教えはたちまち彼らを感服させ、彼らは釈迦の弟子になったそうです。
この地は「初転法輪の地」、つまり仏の教えが始まった所ですす。




タイ人新僧侶










ジャイナ教の寺





タイ人の巡礼団 お経を唱えるタイ人


ムールガンダ・クテイー寺院




日本人画家の絵

 
鹿野苑
鹿が多くいたことから,ろくやおんとも表される。
発掘の結果,アショーカ王(前3世紀中葉)の頃から12世紀までの遺址と多数の彫刻が出土し,
ダルマラージカー塔と根本精舎を中心にグプタ時代に最も栄えたことが明らかになった。

初めてお釈迦様が5人の弟子に説教したところ


菩提樹の木の下で5人の弟子に説教

この5人の尊者に説かれた教えが、仏教として、あるいは仏道として、今日この日まで約2500年ほど続いています。
これを四聖諦・八正道といいます。これが仏教なのです。
四聖諦とは、
苦集滅道 のことです。
とは これは苦しみであるとこの迷いの世界に欲望のままに生きることを深く、深く知ること。
とは、この苦しみの原因を徹底的に知り抜くこと。
とは、涅槃の、お悟りの世界。
とは、苦しみを深く認識してから、涅槃に至るまでの正しい修行の仕方、生活の仕方。

道が、八正道になっています。八つの正しい道といわれています。
その第一に正見というのがあります。この第一から第八まであるわけです。
正見とは、正しい見解を持つことと訳されています。
では、何が正しいのかということになりますが、個人的思考でこれが正しいというのでは釈尊の
教え、つまり仏法を歪めてしまうのではないでしょうか ?
四聖諦で、釈尊は苦しみの認識を真理として教えられているのです。
その真理の目指す真理の答えとしては般若心経が端的に答えています。
苦しみの認識を深く、深く、徹底して認識したら、空の体験になり、そのときに苦しみから解放される、
永遠に解放されると、般若心経は説きます。
空を体験することが、苦しみからの解脱と般若心経は賛嘆するのです。
つまり、照見五蘊皆空 度一切苦厄 です。
五蘊とは人間の体と心のことです。
この体験は、深い深い、禅定、瞑想の世界で行われるのです。
行深般若波羅蜜多時 だからです。
だから、八正道とは、正しく禅定にはいる方法、瞑想する方法なのだと思います。
だから、正しい見解とは、苦しみとそれからの解放、空性についての見解です。
空性について正しく学び、理解し、その教えを実践、修行していくことだと考えます。
そうすることで、正しい見解、つまり正見が芽生えてくると考えます。
八聖道とは、大聖者への道です。