有馬貞一先生

「鴨沂高校は昭和23年10月15日の創設で日はまだ浅いが校舎設備は古い。

校門や茶室は明治5年末丸太町橋西詰の九条家に『新英学校および女紅場』が

開かれた当時にあったもので、おそらく300年は経っているだろう。

そういう古い話はおいておくとして、現在の校舎は京都第一高女のとき、

昭和9年から10年にかけて府費約70万円を投じて建てられ、

白亜の殿堂として当時の人々の目を見はらせた。

しかし教室の机、腰掛けなどは当時の父兄の寄付によった。

屋内プールは昭和8年父兄の寄付約3万円によってできた。

さらに図書館は昭和3年大典記念として計画され、

卒業生、父兄、職員一体となって拠金し、約7万円をもって

昭和13年に建てられた。

なお、閑書庫の蔵書のうち、国文学、英文学、哲文学などの古典で

今日ちょっと手に入らないようなものは大正10年創立50周年記念に卒業生が

10万円を拠金し、毎年その利子4千円をもって購入したものである。

放送施設は昭和22年父兄の寄付80万円をもって設けたものである。

これによっていかに本校の現在の設備が、卒業生、

父兄の直接の負におい担てできているか了解されよう。

ここにいろいろ考えさせる問題があるのはいうまでもない。

今日であれば恐らくこれだけのことはとてもできなかったろう。

勿論当時においてもそう易々とできたわけではない。

当時者の苦心は非常なものがあった。

卒業生、父兄にしても随分犠牲を払ったに違いない。

それだけに職員、生徒はこの苦心の贈物にこの上ない愛情を感じこれを大切にした。

従って校舎は実に清潔で、よい環境の下に気持ちよく勉強が出来た。

さて現在の鴨沂高校の場合はどうであろうか。

時代のながれなのでくどくどしいことはいわない。

ともかく私は残念ながら校舎は荒廃したといわざるを得ない。

なんとか早くこれを復旧し気持ちよく勉学ができるようにしなければならない。

一部生徒諸君が心なく設備を破壊している事はなんとしても改めなければならない。

最後に、現在本校には相当名画がある。

上村松園の「夕暮」は帝展で特選になったもので今日は国宝にもあたるものである。

これが以前には講堂にかかっていたが、汚損する恐れがあるというので

今は校長室に蔵ってある。

こういう優れた芸術品が何の心配もなく、講堂に掲げられて生徒諸君が

心ゆくまで鑑賞出来る日の早く来るよう願って止まない」。

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