塩尻 詢
2年で日本史を取っていたのは我々だけのクラスでした.
何か忘れましたが担任の中村敏勝先生と交渉するようにと
クラスで決められ,出雲路橋の近くの先生のご自宅
(蔵を借りて住んでおられました)へ,
大藪さんと恐る恐る訪ねたことを想い出しました.
上手く同意が得られ,よかったと出雲路橋から出町まで
土手辺に歩いて帰りました.
大学時代にも1,2度,紫野高校の近くに移られた家に
お邪魔し,奥さんが編まれた毛糸のネクタイをもらったり
したのですが,先生は私に史学をやらせたかったのです.
文学部に行き,上田先生に教えていただければ私の人生も
今とは大部変わったことになったでしょう.
当時の鴨沂高校の先生方はすごかったですね.
生物の森下先生,歴史の上田先生は言うまでもなく,
西洋史,文化財の荒尾先生,保雄さんも能面の研究では
日本一ですし,国語の大井先生,成田先生等々,
我々は大学並の講義を受けていたことになります.
私が写楽を知ったのも北村副校長の金曜講座ですし,
マクベスの中で門番がドアを敲くときの恐怖も講堂で
聞いた京大の英文学の教授(菅さんではありません
名前を完全に忘れています)の講演でした.
殺人からピンク,赤まで山科,川端署にお世話になり
ましたし,先生方もそれぞれ奮闘され,
よい先輩方にも恵まれて,いい経験と勉強ができました.
中村梅之助や梅雀を見てもあの南座で観た前進座のことが
思い出されます.国太郎が警察に追われながら幕合いに出
ましたね.随分贅沢な高校生活でした.
全て二年一組の頃です.
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