プロローグ
ユーミン、エイコ、メメちゃんと4人でフランスの南、プロバンスやコートダジュール,モン・サン・ミッシェルにいく
ことになった。コート・ダジュールには何年も前から行きたいと思っていた。エイコはモン・サン・ミッシェルに行きたいと
言っていたし、メメちゃんはパリでお買い物したい!!という。それぞれ満足させるように、ニース、カ
ンヌ、エクス・アン・プロバンス、アルル、ルーアン、モンサンミッシェル、パリを7泊8日でまわることになった。
セキュリティのチェックを受けてAF291便パリ行きに搭乗。パリのシャルル・ドゴール空港を経由してニースの空港
に着いた。空港からホテルに向かうバスの窓からは椰子の木や、バラの花、ブーゲンビリアの花が咲いている。右手
に地中海が見えてきた。美しい海岸線は有名な「プロムナード・デ・ザングレ」でその昔イギリス人が好んで散策した
ことから「イギリス人の散歩道」(プロムナード・デ・ザングレ)という名がついたとか。
21:08 ライトアップしたゴージャスな建物が見えてきた。今夜宿泊する ホテル・ネグレスコである。
エントランス・ホールの正面にあるグラン・サロンの壁には歴代のフランス国王の肖像画がかかっており、クラシカル
な雰囲気。ホール左の「ルイ14世の間」にある太陽王の大きな肖像画は宮廷画家 Rigaudの作だそうだ。サロンを
優しく照らすシャンデリアはバカラ製。私達の部屋555号室へ行くエレベーターは真っ赤な扉に金色の鍵の形をした
取っ手が付いており、重々しく前に開く。このエレベーターにもエリザベス女王や亡くなったマイケル・ジャクソンなど、
世界のVIPがお乗りになったのだろうか・・わたしたちのお部屋にも天蓋のついたベッドが二つ ゆったりと置いてあっ
て、ゴージャスな調度のあるステキな部屋だった。
朝早くに目が覚める。お部屋の窓から青い空と雲が見える。「どこを切り取っても絵になるわねえ。あの空の雲の処
に天使が出てきそうだ」とメメちゃんが喜んでいる。ホテル周辺を散策することにした。エレベーターはやめて階段で
下まで下りることにする。5階のフロアーはナポレオン1世をテーマにベッドやアンティークの家具が置いてある。4階
はルイ16世、3階はアール・ヌーボー、2階はルイ14世という風にフロアーごとにテーマがあり、内装も異なっていた。
このホテル・ネグレスコは1913年アンリ・ネグレスコがエドワード・ニエルに依頼して建てた。
1957年 現オーナーであるオージェ夫妻がこのホテルを買収する。
エリザベス女王をはじめとする各国の王侯貴族や政治家、エリザベス・テーラー、マリア・カラスといったスーパースタ
ーたちがここにお泊まりになったという。122の全ての客室をオージェ夫人がデザインし、世界中から集めた調度品が
館内を彩る。 (’74年には歴史的建造物に指定されている。)
プロムナード・デ・ザングレ
ホテルの前、コート・ダジュールの海岸沿い(プロムナード・デ・ザングレ)をイギリス人のように散策。明るい陽光に
碧い海。コート・ダジュールとは「紺碧の海岸」という意味だという。エメラルドグリーンから深くなるにつれてコバルト
ブルー、ウルトラマリンにかわっていく海。美しく弧を描く海岸線。デユッフィーがこの景色を描いている。
その後、われわれは旧市街の朝市に出掛けることにする。サレヤ広場にはバラ、ミモザ、カーネーションなどパス
テルカラーの花が並び、野菜や果物、ハーブ、ドライフルーツ、お魚などがあふれるばかりで、活気づいていた。
大きな鉄板で焼いているソッカが食べたい!!と前から思っていたので見つけたときは嬉しかった。エジプト豆の粉
で作ったクレープ状のもので、塩味が効いていて、アツアツでとても美味しい。
シミエ地区にあるシャガール美術館はオリーブの木の中にあった。旧約聖書の世界を描いた「聖書の言葉」シリー
ズ。17点の大きな絵は迫力があり感動した。
モナコ
モナコに向け出発。ニースから北東に18km。モナコはヴァチカン市国に次ぐ世界最小規模の国である。私の記憶
ではモナコといえばグレース王妃である。映画「喝采」、「裏窓」、「上流社会」など美しかったグレース・ケリーを懐かし
く思い出す。
モナコ湾に聳える丘の上、ジェノバ人の要塞跡に16世紀から17世紀にかけて建てられたのが大公宮殿であった
ここに上がるエレベーターは世界中から集まった観光客でいっぱい。定員が13人のエレベーターで、日本人だったら
もっと乗れると思うのに、あっちの人はやたら大きいのだ。女の人でもホルスタインの乳牛のようなデカイ胸をした人
がいる。それと併せて男のひとも超ビッグ。だから10人ほどしか乗れないのだ。それに普段、日光不足だから、この
コートダジュールで日焼けしたのがステイタスになるのか、陽に焼きたての真っ赤な顔をしてる人が多くて、見るから
に暑苦しい。
ばら色の大公宮殿の前には衛兵が立っており、その前にはグラン・カジノがあった。
このゴウジャスな建物はパリのオペラ座を設計したシャルル・ガルニエ作。バロック調で1878年に建てられた。
モナコ国王、レイニエ3世の趣味は一番に車のコレクションで、100台は持っていられるそうだ。二番目はカジノで、現
在、盛況をきわめ、昨年でも17万人の人が入ったという。カジノを出ると宝石店が目についた。バンクリの指輪やネッ
クレスが飾ってあった。カジノで大儲けした人が買うのだろうか・・
エズ村(鷲の巣村)
エズは海抜427mの岩山に張り付いた小さな村で、迷路のような入り組んだ細い道が続く。石造りの小さな家々か
らは、いっせいに美しい花々がのぞき、上り下りする石畳の道には手工芸品の店やアクセサリーの店があった。
既に画家としての名声を不動のものにしていたシャガールは、よくこの道を散歩していたという。地中海を見下ろす
素晴らしい眺望の静かな街。
エクス・アン・プロヴァンス
映画祭の街としても名高いカンヌのクロワゼット大通りを抜けて、バスはエクス・アン・プロヴァンスに向かう。
車窓から広大な葡萄畑を眺める。東の方に聖ヴィクトワール山が見えてきた。セザンヌは1839年1月19日にこの
地に生まれている。このプロヴァンス的な岩山は1000m級の山で、セザンヌはこの山を60枚も描いたとか・・
今、セザンヌが見ていたと同じ山を私も見ている!!
広場の中央に立ったルネ王の像を見て、ミラボー通りに出る。樹齢500年という大きなプラタナスの並木道、緑がし
たたるようだ。ミラボー大通を中心に回りに並ぶお店を見て街を散策。プロヴァンス・プリントの生地で作った
スカートを買った。インド更紗がヨーロッパに上陸し、これにプロヴァンスの自然 オリーブやラベンダー、ひまわり、昆
虫など身近なモチーフが加わり現在のプロバンスコットンとなった。このコットン地をたっぷり使った作った3段
切り替えのギャザースカートで「アルルの女」が身につけていたような華やかなレモン色のスカートである。
ポールセザンヌ通りの生い茂る木々の中にセザンヌのアトリエがあった。中に入るとイーゼルや絵の具、モチーフ
になった椅子、ガラス瓶、籠に入った果物などが置いてあった。果物のりんごや洋ナシはほとんど腐りかけており、わ
たしは一瞬、これもセザンヌが描いたあとそのまま置いてあるのかと思ってしまった。
「100年も経ってるのに、そんな筈ないやないの・・・」口の悪い我が友3人にバカにされた。わたしの質問に
ガイドは「時々この果物は取り替えられますが、セザンヌは腐っていく果物の色の変化などを描くために、そのまま
にしておいたという記録があります」と真面目に答えてくれた。大きな窓は北向きに開けてあり、自然の光を取り入れ
るようにしてあるという。セザンヌは生涯をここエクスで過ごした。
アルル
ゴッホがよく通い、絵に描いた(ル・ソワール)にゴッホの複製画が立てかけてあった。1882年にゴッホはアルルに来
ている。ここに来てパリ時代に見られなかった鮮やかで、強い色彩と線で表現する。糸杉とオリーブ、小麦、ひまわり
はプロヴァンスの時代に、彼が描いた4つの基本的な植物であった。サン・レミの療養院は彼がプロヴァンス最後の
日々を過ごしたところである。「アルル療養所の庭」に描いた中庭も復元されていた。今、子供達が絵を描いている。
ゴッホはここでゴーギャンと口論して耳を切り落とした。
アヴィニヨンのホテル 「メルキュール・アヴィニヨン・シュッド」で泊
4日目
アヴィニヨン
「アヴィニヨンの橋で踊るよ おどっろよ・・♪♪」の歌で有名な橋 サン・ベネゼ橋
ローヌ川はゆったりと流れ法王庁宮殿が水面に映って美しい。14:54発のTGVに乗車。パリに向かう。
18:16リヨン着。ここからセーヌ川沿いにバスは走り、ルーアンまで。ルーアンのノボテル・ルーアンで泊。
5日目
ルーアン
ルーアンはノルマンディ地方の中心都市で、ジャンヌダルクが処刑された所としても有名である。サン・ロマン通り
1520年代に建った木骨住宅がある。中世の街並み、狭い迷路のような道を歩く。繁華街にある大時計は16世紀
から休むことなくトキを刻んでいる。この繁華街にはフランスの国旗とルーアンの旗がはためいていた。
1979年にできたジャンヌ・ダルク記念館は超近代的な建物だった。ジャンヌ・ダルクの処刑されたという場所には
ジャンヌ・ダルクのブロンズ像が立っており、両脇に白とブルーの紫陽花の花が一杯だった。今日 5月30日は彼女
が処刑された日だという。アジサイ忌であろうか・・
モンサンミッシェル
広がる草原の向こうに、海に浮かんだような美しいモン・サン・ミッシェルの姿が見えてきた。モーパッサンは
「大寺院はすくっと立ち、陸を離れて遠く押しやられ、その様はあたかも幻想的な館のよう。そして夢の宮殿のごとく
驚異的で信じがたいほどに美しい」と表し、ジュール・ミシュレは「陸でありながら陸とは言えず、海でありながら海で
もない」とその魅力を定義した。聖書の言い伝えではミッシェルはガブリエル、ラファエルと並んだ天使のひとりである。
モンの近くにある街、アヴランシュの司教、オーベールは夢の中に、聖ミカエル(サン・ミッシェル)が現れ、モンの岩山
の上に教会を建てるように命令する。オーベールは708年にミカエルを奉る教会を建てた。とガイドの説明があった。
ランチはここの名物の巨大なオムレツを食べた。4人分でひとつ、大きなお皿にのっていた。
今日のホテルはパリの地下鉄 Hに乗って終点 Momairie・de・montrsuil 駅で下りたところでとっても不便なところ。
とても粗末なホテルでこの旅で最初に泊まったホテル・ネグレスコとは王様と乞食くらいの差がある。
6日目
パリ
「皇帝」というチャイニーズレストランで昼食を摂った。久しぶりの中華料理は美味しい。となりのテーブルに日本人
とフランス人が犬を連れて入ってきた。この犬は躾よくご主人様が食事をしているテーブルの下に蹲り、食べ物をほし
がりもしないし、顔を上げたりもしないで、ただじっと黙って座っている。真白いハスキー犬に似た犬で、サムエドだとメ
メチャンが教えてくれた。彼女は犬大好き人間で、このサムエド君にに一生懸命サインを送っていた。初めは知らん
顔をしていたサムエド君も、ご主人様と私達が喋りだして、安全マークだと安心したのかメメちゃんに向かってアイソ笑
い(?)をした。「大変お利口さんなんですね。躾はどうして?」と聞く。「家の中で家族の一員として生活して、厳しくし
つけます。この犬は日本語とフランス語の2カ国語が分ります」と言われた。
私は方向音痴である。ユーミンもわたしと同じくらいで、彼女はパリは4度目、でわたしは3度目だけれど、
二人ともどっちを向いて歩いているのか、地図の見方もわからない。「ホントに二人とも駄目なんだから」とエイコとメメ
ちゃんはぼやく。パリは初めての二人が地図を広げ、あっちだ、こっちだ、と連れて行ってくれる。まずはギャラリー・
ラファイエットに行き、モンテーニュ通りを歩く。高級ブティックが軒を連ねている。フランソワ通りからシャンゼリゼ
通りを歩くと右手に凱旋門の片足が見えた。夢中で歩きまわって、さすがに草臥れてきた。カフェテリアで休憩。
小さなお店でも、パリはやはり垢抜けている。おしゃれなものや,ステキな小物など見ているだけで楽しい。
コンコルド広場まで来ると夕暮れの気配。エジプトのルクソールから持ってきたオベリスクが凛と立っていた。
さっきたくさんのビールを飲んでいたエイコはトイレに行きたいと言い出した。このままホテルに着くまで我慢
できないという。ダイアナ妃が最後に食事をしたというリッツ・カールトンホテルは目の前にあるが、入り口ドア
の辺りには「オシッコだけでは入れないぞ」という顔をしたホテルマンが立っている。
その近くのウエストミンスター・ホテルに入ることができた。トイレも美しく、化粧室にはおしゃれなタオルがバスケット
に入れてある。奥のバンケット・ルームにはパーティでもあるのかイブニングドレスを着た人が大勢集まっていた。トイ
レの為にホテルに入ったのはエイコとわたしの二人だけで、ユーミンとメメちゃんは大分離れた処で私達を見守ってい
た。入り口近くにいたホテルマンは私たちが入った後についてホテルに入ったという。挙動不審の日本人と思われた
のか?・・・でも私たち二人は用を済ませた後、にこやかに、ホテルマン達に「メルシーボクー」と挨拶して出てきた。
彼らもにこやかに挨拶を返してくれた。
パリのはづれのホテルに帰って爆睡。もう明日は日本に帰るのだ。
7日目
AF292便に13:15発関空行きの搭乗する。8日ぶりに見る朝日新聞に寺山修司の詩が載っていた。
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
わたしは「言葉の錬金術師」といわれる 寺山修司の詩が好き。
8日間の忙しい旅であったが、それなりに行くべきところには皆立ち寄り、その雰囲気を味わったと思う。
4人とも最高の気分で帰ってきた。