南イタリア

エイコとユーミン、メメちゃん、私の4人で南イタリアに行くことになった。


 青の洞窟のあるカプリ島を訪ねるのが今回の旅行の目的。

 アリタリア航空AZ-795便 12:55発ミラノ行きに搭乗。榊原郁恵と

 福島瑞穂を足して冷たくしたようなフレンド

 ツアーの添乗員 のOさんは「これからイタリアのど田舎に行きます

 のでくれぐれも健康に気をつけてください」と言った。

 現地時間17:16(日本との時差は8時間)関空から9.643km離れた

 ミラノ空港に着陸。気温11℃。19:00AZ1295便に乗り継いでナポリ

 に向かう。21:20オリエント・グランドホテルに着いた。

 エンジ色の花模様のベッドカバー。カーテンとトイレのタイルは

                           ダークグリーン

二日目

     ナポリの日差しは明るい。ユーミンの部屋で朝からストレッチ体操をする。昨日一日中機内で同じ姿勢

     だったので、身体を伸ばしたり、手を上げたりすると気持ちがいい。この年令になると復元するのに時

     間がかかる。バスでナポリ市内の観光。市庁舎、サンカルロ劇場、プレシビートン広場を通り港に出て

     きた。ナポリの街は昔、観たソフィアローレンの世界。人口密度は高いそうだ。小さな通りの家々の窓

     には洗濯物が青い空に翻っている。バスは石畳の上を走る。今日は土曜日なので渋滞していない、と

     ガイドは言う。バスは高速に入る。見晴るかす葡萄畑でベスビオ火山が見える。カゼルタに向かう。

カゼルタの王宮

ナポリから約33km。肥沃な平野にあるカゼルタの街は人口20万人の中都市。そこにブルボン家の

 豪壮な王宮と庭園がある。建設の指揮をとったのがルイジ・ヴァンヴィテッリ。彼はフランスのヴェルサ

イユ宮殿を参考にナポリから続く並木道から宮殿の内部をくり抜いたアーチをくぐり、庭園、大滝を一

直線に結ぶ長大な透視図を用いた図面を1751年に披露した。1993年にユネスコの世界遺産に

登録された。

入り口には左右にライオンが座っていて、シシリー島から持ってきたピンク色の大理石で造ら

れた大階段を上る。お部屋の数は1200程あるらしいが、一般公開されているものはその内30部屋

程である。謁見の間を通過するとブルーグレーの王座があり、、これにもブルボン家の象徴のライオ

ンが居た。ロイヤルスタイルの天蓋の着いたベッドのある寝室や礼拝堂、赤御影石でつくられたバス

ルームなどを観て廻った。宮殿の後ろに約3kmに伸びる庭園があって、オレンジ色のバスが待って

いて頂上の大滝まで乗せてくれた。頂上の噴水はビーナスとアドニスの泉と呼ばれ、2神が天使

や動物に囲まれたダイナミックな彫刻で装飾されている。緑が美しい平地が広がっている。

大滝を受け止める泉はディアナの泉と呼ばれている。

英国式の庭園

ディアナの噴水に向かって右手に広がる。自然を活かした庭園で、世界中から集められた珍しい

植物や遺跡があった。ボンペイから運んだ遺跡などが配置されている。出口には白と黒のブチの野

良犬がメメちゃんのところにすり寄ってきた。彼女が犬好きなのを知っている。


昼食には前菜にモッツアレラチーズがドカーンと出てきた。あさりのボンゴレといか

と海老のフリッターにワインはこの地方の名産「キリストの涙」(Lucryma christi)

がでた。塩野七生の著書「イタリアからの手紙」にも登場する。

    午後は「地中海の楽園」と呼ばれる 美しいカプリ島に向かう。私達の乗ったバスは地中海

沿いの海岸に出る。前にイキア島。右側にうっすらとカプリ島が見え、その先がソレント

で左手にたまご城、サンタルチア港があった。メメちゃんはサンタルチアの歌を原語で気

持ちよさそうに歌う。高校生のときに覚えたそうだ。メリリーナ港のところでメメちゃんが

コーンに入ったアイスクリームを買っていた。初めは「いらない」と言ってたが、一口食べて

驚いた。こんなに美味しいジェラートははじめて!!レモン味とナッツ味のミックスでとっても

フルーティで感動するお味。いまだにあれほど美味しいアイスクリームは食べたことない。

16:10のカプリ島行きの船(PAUL & SHARK)に乗る。17:00マリナ・グランデ島に着き

ケーブルに乗って3分位でフニクラに着いた。前にイスキオ島が見える。夕焼けがきれい。

カプリ島

カプリの中心ウンベルト広場にはシンボルの時計があった。小路が放射線状にあって

有名な「ホテル。クイシーナ」は夏が終わって、もうクローズされていた。「折角ここでの夕食

を楽しみにしてたのに・・」とエイコが悔しがる。この辺り、夏はいっぱいの人らしいが今は

閑散としている。



今日のホテルはレジーナ・クリスティーナホテル。こじんまりしたおしゃれなホテル。お部屋の

中も階段もロビーも絵の描いたタイルがあって、中々可愛い。ズッキーニソースのパスタと白身

魚のトマトソース、アーモンドケーキ。夜はエイコと私の部屋 210号室でパジャマパーティ

わさびの利いたマメや骨せんべいのおつまみが美味しい。

三日目

朝食を済ませてアナカプリまでミニバスに乗り「青の洞窟」へ。今日はお天気もよくて、波おだやか

入れる確立は50%だって。波の高さや潮の加減で入れないときもある。わたしたちの順番がきた。

ハンドバッグも添乗員のOさんに預かってもらう。洞窟の入り口に来ると私達は重なって横になり、

船頭さんはボートのオールを両端に放り投げて私達の上に覆いかぶさってくる。顔面すれすれに岩が

あった。後ろを振り返ると開口部から透き通った水を通して太陽光線が入る。洞窟内は下から照らされた

ような不思議な青い光に満ちている。薄いトルコブルーからだんだんに濃いグラデーションの神秘的な

美しさに思わず感動の声をあげてしまう。ほんの数分間、洞窟に居ただけだけれど充分にあの青い光

は見ごたえのあるものだった。



ヴィラ・サン・ミケーレ

スエーデンの作家アクセル・ムンテが高台に建てた別荘。現在は17世紀〜18世紀の家具などを展示

する美術館になっている。テラスからのパノラマは息をのむほど美しい。石畳の小径を歩く。可愛いお店が

いっぱい。ここの名産のレモンで作ったリキュール酒 レモン・チェッロが可愛いビンに入って売っていた。

歩き疲れてウンベルト広場のカフェテリアでコーヒーを飲む。広場には毛の白と黒の斑の犬がいた。

温かいカプチーノは疲れをとってくれる。夕食はリストランテがどこもシーズンオフのため閉まっててて

テークアウトのお店(TAVOLA CALDA)でキッシュ、パンピザ、ライスコロッケ、チキンの足などを買い

込んでお部屋で食べる。

四日目

8時30分の船で再びナポリへ。長靴の形をしたイタリアの脛辺りのカンパーニャ州のナポリから踵のところ

のプーリア州まで315kmをバスは行く。窓から見る風景は小麦畑が広がっている。

円錐形の家の集落が見えてきた。

アルベルベッロ

アルベロベッロとは「美しい木」という意味を持つ。緑の木々が茂っている中にトウルッリという真っ白な

壁に灰色の円錐形の屋根。エジプトのピラミッドがルーツという説があるが400年ほど前16世紀〜17

世紀には、ここはスペインが支配していた。昼食はリストランテ「L Olino Bello」で。トウルッリんの建物で

中は石造りの可愛いレストランであった。夕方になって街の中心のポポロ広場へ。120年前に

建てられた教会に行く。ここは正十字のギリシャ教会と同じ。

街の多くのトウルッリはこの地方の特産品を売ったり、土産物の店になっている。添乗員のOさんは

この家に住んでいる人とお友達であると言った。「電話したら10人くらいならいらっしゃい。温かいエ

スプレッソとクッキーをご馳走します」と言ってました。中も見せてもらえるし、興味のある人は私と一

緒に行きましょう といつになく親切に誘ってくれた。こんな世界遺産の家の中をみたい!!と私達は

思い、トウルッリの家並みの一軒にあるマリーさんの家に付いていった。きれいな娘さんと この娘さん

が将来になるであろう太ったおばあさんが玄関であたたかく迎えてくれた。われらの添乗員Oさんと彼女

らは懐かしげに抱き合い再会を喜び合っていた。私達はリビングに通され、長いすに座った。暖炉がある。

この辺は夏は暑いが冬にはマイナス2℃にもなるという。クッキーやお菓子が山ほど出され、エスプレッソ

やカプチーノをリクエストした。トウルッリの屋上はどうなっているのか案内されて上がってみる。あまり雨の

降らない土地なので、トユの水も無駄にせずにタンクにためているとか・・上ってきた階段とは別の階段に

降りるようになっていた。下りたところはテーブルクロスやランチョンマットのお土産の品が並んでいた。

カプチーノもご馳走になったことだし、それぞれにおみやげを買うことにした。しかしここの価格は日本人

価格でめちゃめちゃ高い。メメちゃんはお友達のお土産にとテーブルクロスを買ったがお金を払ってから

あまりに高いので、ランチョンマットに取り替えてもらいたい とマリーさんのおばあさんに申し入れた。

途端にこのおばあさんは顔色険しくなった。まるで赤頭巾ちゃんのおばあさんが狼に変身したみたい。


街を散策。ウインドウ・ショッピングを楽しむ。かっこいいセーターやパンツは魅力的だった。夜、トウルッリ

の格高で買ったワインの栓が開かなくて、添乗員のOさんに開けてもらえるか調理場に頼んでもらう。

一番年長のユーミンがありったけの猫なで声で頼んだのに彼女はふくれていた。時間外勤務だものね。

五日目

いろいろの想い出を残して、アルベルベッロを後にした。バスは長靴の形をしたイタリアの踵の部分

 レッチェとガリポリに向かう。ブドウ畑が広がっていて、葉っぱが紅葉していた。

バスはアッピア街道を走る。この道はローマに通じている。ヨーロッパの高速道路はみなローマ

への道だそうだ。A1号線の真っ直ぐの道をひた走る。前方にオベリスクが見えてきて、バロック

のフィレンツエとよばれるレッチェの街についた。

レッチェ

南イタリアの中で最も美しい街。バロック独特の浮き彫りが飾られた教会や家々で埋め尽くされた

旧市街。紀元前12世紀から歴史を持つ街で今に残るバロックの建物の数々は、17世紀にスペイン

のカルロ5世により造られた とガイドブックにあった。

18世紀当時からのメインストリーtを歩く。街の中心にあるサントロンツオ広場にはローマの円柱が

建つ。その横にはローマ時代の円形競技場があった。バロック様式の建物が広場を囲んでいる。

ここは南イタリア屈指の美しいドウオモ広場。左には鐘楼、右手にはバロックの家。中庭にある井戸も

バロックの浮き彫りがある。

サンタクローチェ教会  1549〜1679年にかけて造られたこの教会の正面には、下がガブリエレ・

リッカルがデザインし、上の部分はジュゼッペ・ジンバロとチェザレ・ベンナが造った傑作。

テーマは「聖なる十字架に捧げる教会」内部モキンキラキンの豪華絢爛。

14:59 バスに乗って今日の宿泊地ガリポリまで行く。窓外の景色はオリーブ畑がずーと続いている。

ガリポリはイオニア海に面した港町である。城壁に囲まれた「美しき港」という意味のガリポリ。

ガリポリ

ガリポリは新・旧二つの街からできている。その二つの街は一本の橋で結ばれていて、新市街地

には会社やホテルなど、大きな建物が建ち、夏の間は観光客で賑わうそうだ。

16世紀に造られた橋を渡って旧市街地に入るとすぐ目につくのは敵から防御を目的とした城である。

アラゴンの時代にできた要塞だという。この旧市街は華やかな色使いの教会が沢山あるところで、ガイドは

50m歩いたら教会があります と言ったがオーバーではないらしい。一番のカテドラルは1172年に建てら

れた。16世紀に改造され、バロックスタイルに。内部はバロック様式とルネッサンス様式であった。街を護る

聖女・アガタの像や聖セバスチャンが迫害された絵やその他の油絵がたくさんあった。ベネッツアのドッカーレ

宮殿の影響を受けているといわれる。「教会ばかりで飽きあきするわ」とエイコが言う。海の周りをゆっくり歩いて

ホテルに帰った。今日のホテルの部屋の鍵は文鎮のように重い。「これで頭をガツンとやったらあぶないわねえ。

私思いついたわ『ガリポリ殺人事件』という小説を書こう。アガサ・クリスティみたいに」とメメちゃん。けれど、

殺人の凶器にこの鍵を使う というところから一歩も前に進まず、アガサの偉大さがわかっただけで終わった。

六日目

ローマに行く飛行機の中で、添乗員のOさんから今日の夕食に行くレストランの住所をメモ紙に書いてもらった。

ローマの空港には予定通り12時頃に着いた。快晴で18℃ ホテル到着後はフリータイムである。

ローマにいるのは今日だけである。半日間で効率よく廻らねば・・最初にタクシーでテビレ川を渡り、コーラ・デイ・

リエンツオ通りまで。ジェンテ、マックス・マーラ、フェラガモなどのブランド店を観て歩く。スペイン広場は相変わらず

の人・人である。コンドッテイ通りからボルゴーニャ通りを歩く。

夕食は添乗員のOさんが予約しておいてくれたRestorante George`s Viaにタクシーで行く。ユーミンが

「まさか日本のメニューが出てくる店やないやろね」とマイナーなことを言ったので私達は笑ったが、そのまさか

で日本語のメニューがちゃんとテーブルに置いてあった。ユーミンに聞いたところによると、外国の観光地

のレストランで日本語のメニューの置いてある店は90%美味しくないとのこと。その格言通り、ホントに美味

しくなかった。私達のテーブルの担当のウエイターはおじいさんだった。まずい料理とじいさんでサイテー。

七日目

アリタリア航空 11:00発Z−1024便でミラノまで。14:45発 関西国際空港行きに乗り継ぎ大阪まで。

7泊8日の南イタリアの旅は終わった。