松尾芭蕉の墓 義仲寺で有名なものに、もうひとつの松尾芭蕉の墓がある。 芭蕉は近江をこよなく愛し、貞享元年(1684)の大津訪問以来、計10回、この地を訪れており、大津で詠んだ句は89句に及んでいる。 義仲の眠るこの寺の草庵、「無名庵」に滞在したこともあり、 元禄4年(1691)8月15日には同庵で門弟たちと観月の宴を催している。 元禄7年、大阪で客死するが、死の直前の 「骸(から)は木曽塚に送るべし」という遺言通り芭蕉の遺体は多くの門人たちにより、淀川の川舟で運ばれ、義仲寺に手厚く葬られた。 大津は生涯を旅に生きた芭蕉が自らの意志で選んだ故郷である。 義仲の墓に並んで、内藤丈艸の筆による「芭蕉翁」の文字が刻まれた墓石がある。また伊勢の俳人又玄(ゆうげん)の 木曽殿と背中合わせの寒さかな 芭蕉の 行く春を近江の人と惜しみける 他19基の句碑が狭い境内にぎっしり立っている。(先生の資料から) |
池には石のような亀が甲羅干しをしているし、蛙も鳴いて俳句を作る人には最高 のシチュエ
ーションである。