鴨沂高校旧校舎
モダニズム(近代主義)を取り入れたアーチ型小窓などで親しまれている鴨沂高の校舎(1935年完成)の建て替え方針を決めた。 かつて宮家の生徒を迎え、多くの学識者や芸能関係者を輩出した学びやだけに、名残を惜しむ声が上がっている。建て替えは老朽化が理由で、「壁や柱が少なく、補修で耐震強度を上げるのは難しい」という。 校舎は鉄筋コンクリート3階建てで和洋折衷のデザイン。全国初の公立女学校の流れをくむ京都第一高等女学校として建てられた。段差の小さい木製階段は女学校時代の名残で、着物でも上り下りしやすい。 37年にはヘレン・ケラーが訪れ、校舎3階の大講堂で「各自なすべき事に尽くすこそ最高の業」と生徒たちに訴えた。48年の学制改革で男女共学の鴨沂高となり、現在に至る。京都御苑から近く、香淳皇后のいとこの久邇宮恭仁子女王(故人)も学んだ。 暖炉跡のある定時制職員室は宮家のお付きの控室だったらしい。旧九条邸から移築された木造の正門と茶室もあり、正門は保存する予定です。