古典を読む会シリーズ第3回


吉野を巡る



「古典を読む会」では現在読んでいる「平家物語」の義経ゆかりの地、吉野を訪ねることになった。
杉野先生を囲むアウティングは好評で参加者は多い。先生はいつものように吉野の歴史的、
文学的な解説をプリントして渡してくださった。

先生の解説


       歌書よりも軍書にかなし吉野山」と芭蕉の門人支考は詠んでいる。吉野はいろんな
顔を持つ。そしてどれもが人の心を強くとらえる。

   まずは世界遺産として知られる金峯山寺に代表される山岳信仰の顔。

       信仰にまつわる話がある。 役行者が桜の木に蔵王権現を彫り、金峯山寺の本尊

       としたところ。そのことから桜がご神木とされ
 多くの信者によって寄進献木された。

      それ以来、吉野山と桜との縁は深くなり、ついに現在の吉野山の盛況をみるに至った

     
 といわれる。

  歴史上では、古くは神武天皇東征の伝説。神武天皇は東征のとき、熊野から吉野を経て

      大和
に入ったと伝えられる。また中大兄皇子、大海人皇子の生母 斎明女帝は吉野に

      「いでまし」の宮を置 いた。
      
      
この二人の皇子は皇位継承をめぐって溝がふかまり、大海人皇子は吉野に籠もる。

      やがて天智の子、大友皇子と大海人皇子との間に壬申の乱が起こり、勝者大海人皇子は

      天武天皇となる。

 源義経が兄頼朝に追われて吉野山に隠れ金峯山寺の力を頼った。

 南北朝時代時代には後醍醐天皇が足利尊氏に追われて吉野に落ちて北朝と対峙し、

     以後南朝の拠点と なったが、結局は吉野
地で悲運の最期を遂げた。吉野山には

     一帯に南朝関係の史跡が数多くある。

        一方文学の方では離宮におかれた飛鳥時代、天皇をはじめ多くの人たちがしばしば

      訪れては優れた歌を残した。桜の花をこよなく愛した西行が住まい、そうした西行の

      足跡を慕って芭蕉が足を運んだ。思えば吉野山というところはたいへんなところだ。

      訪れる度に違う表情を見せ、そのどれもがほんものなのだから


      2005年4月19日

      10:55 吉野に着きました。桜の季節で、大勢の人出。さくらの花びらが散っていてうぐ

      いすが鳴いていいました。

      12:03 奥千本でバスを降りる。吉野杉の木立を抜け、苔清水に向かう。木々が新緑に燃

      えて、小鳥のさえずり声や風のそよぎを聴きながら登っていきました。芭蕉の句碑に出会いました。  


     
 峯入りや一里遅るる小山伏  芭蕉

      途中、 義経かくれ塔をみました。

       吉野なる深山の奥のかくれ塔本来空のすみかなりけり

      苔清水には西行法師が詠んだ歌があるのです。

       とくとくと落つる岩間の苔清水汲み干すまでもなき住まいかな  西行

       芭蕉もここを訪れています。


独吉野のおくにたどりけるに、まこと山深く、白雲峯に重なり,烟雨谷を埋んで、

山賎の家処々にちいさく、西に木を伐音東にひびき、院々の鐘の声は心の底にこたふ。

むかしより、この山に入りて世を忘れたる人の、おほくは詩にのがれ歌にかくる。いでや

唐土の廬山といはむも、またむべならずや。

ある坊に一夜をかりて

碪(きぬた)打て我にきかせよや坊が妻

西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町計わけ入るほど、柴人のかよふ道のみわず

かに有りてさがしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼とくとくの清水は昔にかはらずと見えて、

今もとくとくと雫落ける。

露とくとく心みに浮世すすがばや( 野ざらし紀行より)
      

     今もとくとくときれいな清水が流れています。わたしたちも名水の苔清水を手

     ですくって渇いたのどをうるおした。


     15分ほど歩いて 西行庵に着きました。

     「西行さんは毎日ここまで水を汲みに来はったんやろね。ご飯も炊かんなんしねえ。たい

      へんね」桜の木に囲まれた萱葺き屋根の庵室は思ってたより小さな庵室でした。

     中には気むづかしい顔をした西行法師像がありました。


     

西行はしばしば吉野山を訪ねている。冬の厳しい寒さのときも
こかしこ山のはざまに庵を結んだようだが芭蕉が訪れて句を
     残したことで、ここが決定的なものになった。吉野山で詠んだ歌は60余首ある。

                                       (先生の資料から)


     吉野山梢の花を見し日より心は身にもそわずなりき   西行

   
 
    「西行の追っかけはしんどいし、大変やよ。ヨンサマの追っかけの方が楽ね。と松浦さん。

    「西行は足が丈夫なんやから・・・」と長田さん。


     
吉野山やがて出でじと思う身を花散りなばと人や待つらん 西行

    
 西行が詠んだ2000種以上の歌のうち230種が桜の花だそうです。


     勝手神社

     
天智10年吉野に兵を挙げた大海人皇子がここで琴を奏でたとき、天女が現れ舞いをま    

     ったという伝説がある。静御前が義経と別れる時、舞を舞ったという伝えもあり、舞塚が

     ありました。

     吉水神社

     
文治元年(1185)義経が頼朝からの迫害を逃れて滞在しました。いり口には義経馬蹄      
     のあとがあり、中には義経の鎧や着物が展示されていました。義経は5日間ここに匿わ

     れていましたが1185年11月17日に吹雪の中を恋人の静御前と別れて吉野の奥へ分

     け入った、とあります。


        
  吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ恋しき

    
     後醍醐天皇が1336年ここを行宮としました。南朝の皇居跡であります。建武の中興の

     大偉業をされたあと、悲憤の最後を遂げられたところ、とあります。中に玉座がありました

          花に寝てよしや吉野の吉水の枕のもとに石走る音


     文禄3年(1594)豊太閤が花見をした居間にはいりました。狩野永徳の屏風や狩野山富

     襖を観ました。

   
          
年月を心にかけし吉野山花の盛りを今日みつるかな

    
 蔵王堂

     吉野山のシンボル金峯山寺の本堂が蔵王堂。役小角の開基といわれる。奈良時代から

     平安時代にかけて大峰山、熊野三山とともに吉野山修験道の中心寺院として尊敬されて

     総門である黒門から急な石段を上ると高さ8mの銅の鳥居がある。宮島・四天王寺ととも

     に日本三大鳥居のひとつといわれる。

     今日のお宿は川上村の村営「杉の湯」。吉野神宮駅で電車を降りると平橋さんの同級生

     の大西さんと「杉の湯」の人がクルマで迎えに来てくださいました。

     クルマは吉野川沿いに、国道169号線上を走ります。この吉野川が和歌山県に入ると

     紀ノ川になります。和歌山の海に流れ込む全長136kmの吉野川、紀ノ川の源は川上村

     の連なる山々であります。

     川上村の面積は270平方km。大阪市より広い。日本一の大きな村。その殆どが山林で

     日本三大人工美林のひとつに数えられる吉野杉があります。

     食後、温泉に入る。ナトリウム炭酸水素泉で、皮膚病や神経痛、筋肉痛などに効果があ

     るとか。石原さんと寺本さんと私が同じお部屋です。


2005年4月20日


     今日は朝から雨。9:10杉の湯を出る。「森と水の源流館」に行きました。バーチャルシア

     ターで、巨大パノラマで観る。

     蜻蛉の滝

     あきつの公園の奥にあった。杉木立の中を少し進むと滝が見え、滝つぼに落下する水音

     を聴きました。奥千本の青根が峯の豊かな水を集めて流れる音無川が作った落差50m

     の名瀑。松尾芭蕉や本居宣長もここを訪れています。

     この付近は滝の水の飛沫は太陽に映じて、常に虹を作るので虹光(にじっこう)ともよば

     れるとか・・

        
ほろほろと山吹ちるか滝の音    芭蕉(笈の小文から)

     あきつ野公園のしだれ桜は今、満開で、息をのむほどに美しかった。

     浄見原神社

     吉野川沿いの小道を歩きました。屹立する岸壁の上に神社がありました。

     大海人皇子を偲んで里人が祀った。

     謡曲「国栖」は浄見原天皇が叛乱のために吉野に遷幸遊ばされたときに老人夫妻が根


     
芹と国栖魚を供奉し、追手が襲ってくると、天皇をお隠しして御難をお救い申し上げた。 

     かくて世は太平になった、という曲であります。

     宮滝

     現在では吉野といえば桜を思い浮かべるようになっていますが、万葉の昔は水の吉野だ

     っ た。宮滝は仙境で、離宮があったと言われている。吉野の宮はここだけと決まったわ

     けではなかったらしいが、天武、持統天皇の朝には宮滝にあったというのが定説で、持統

     天皇の行幸は32回に及んだといいます。

    
 山高み白木綿花に落ちたぎつ

                  滝の河地は見れど飽かぬかも  万葉 巻6笠  金村

    
 桜木神社

    
 象の小川のほとりにしずまるこの神社は大己貴(おおむらき)彦名命 天武天皇をお祭り

     してある。

     
皆人の恋ふるみ吉野今日見ればうべも恋けり山川清み    万葉集

     昔見し象の小川を今みればいよよ清くなりにけるかも      大伴旅人

     雨の中、象山が向こうに煙って見えます。

     
み吉野の象山の間の木ぬれにはここだもさわぐ鳥の声かも   万葉 巻6 山部赤人 

     の歌碑が建っていました。

     ここから大和上市の駅に向かい、帰途につきました。

     今回の旅で吉野のいろんな顔を見ることができました。




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