源氏物語ゆかりの須磨・明石にあそぶ

          

    古典を読む会で、須磨・明石に出かけることになった。誰が言い出したか、須磨でお月様を観よう!!ということになった。2012年11月26日〜27日の一泊旅行である。
メンバーは先生を先頭に11名。神戸在住のM・Tさんが 当日のランチする「ホテル・セトレ」と宿泊する「寿楼  臨水亭」を予約してくださった。

10:52にJR舞子駅に着いた。昨日のNHKニュースでは 今日は大雨で、雷を伴って激しく降るでしょう と言っていたので 「決行できるか どうか心配したわ」と
先生も言われた。でも、心配したほど激しい雨でもなく、雷もなかった。しょぼしょぼ降る雨の中、舞子公園の中を歩いて11:17 ホテル・セトレに着いた。

窓からは明石大橋が見える。オーシャンビューで眺望抜群。ランチはイタリアンでパスタとサラダを頂く。食材良好で味付けも良い。

舞子駅から再びJRに乗り、須磨駅へ。村上帝社に行き、今夜宿泊する ホテル 寿楼のお迎えのバスに乗る。お玄関の紅葉がきれいだった。


先生のお部屋で「須磨・明石」についてのお話を聴いた。先生は「須磨・明石に関する歌」 それぞれ5首ずつ選んでプリントして、皆に配って下さった。



須磨

○ 須磨の海女の塩焼き衣の藤衣 間遠にしあればいまだ着なれず(万葉集 巻三  大網公人)

「万葉集の歌 4516首の中で7割が恋の歌です」と先生がおっしゃる。須磨の海女が着る藤の繊維で編んだ衣のように、あなたとは 
お付き合いが浅いから まだ打ち解けていなくて気心がわからないよ  という意 (因みに麻の繊維は粗いので身分の低い人が着た)

○ 須磨の浦の塩焼く煙風をいたみ 思はぬかたにたなびきにけり (古今集 恋歌四  読人不知)

古今集には、恋歌1から5まであって、1〜3はうまくいっている歌、4・5は失望の歌です。この歌は恋歌4で、須磨の浦の塩を焼く煙
は風がひどいので、思わぬ人のところに行ってしまった。

○ わくらばに問う人あらば須磨の浦に 藻塩たれつつわぶとこたえよ (古今集雑下 在原行平)

「この歌はよい歌ですねえ。在原業平のお兄さん 行平の歌。親しい人に出した手紙で・・・たまに たずねる人があれば 
わびしい須磨の浦に漁師が藻塩たれて(自分もしおたれて)いると答えてください、という意味。

○ 友千鳥諸声(もろこえ)に鳴く暁は ひとり寝覚めの床もたのもし (源氏物語 須磨の巻)

友と群れをつくって飛んでくる千鳥が声を合わせて鳴く暁は一人泣いて暮らしている源氏にとって、同じ気持ちでいる千鳥がいるのだなあ

○ 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に いくよ寝覚めぬ須磨の関守  (金葉集 源兼昌 百人一首)

百人一首の歌でお馴染みであるが、関守の仕事をする人の寂しさにかけて自分の哀れさを歌っている。


明石


○ 天離る(あまざかる)鄙の長道ゆ恋ひくれば 明石の門より大和島見ゆ (万葉集巻三 柿本人麻呂)

遠い西の方から長い海路を来て明石の海門まで来ると、明石海峡より大和が見えた の意。
「この柿本人麻呂の歌は わたしが好きな歌のひとつです」と先生はいわれた。私も好きな歌のひとつになった。

昭和13年発刊の岩波新書 斉藤茂吉「万葉秀歌」
にも 「この歌が人麻呂一流の声調で、強く大きく豊かである」と載っていた。

○ ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島がくれゆく舟をしぞ思ふ   (古今集羇旅 柿本人麻呂)

明石の浦の朝霧をしみじみと眺めている歌。朝霧に包まれているように小さな舟を、旅の途中の私は眺めているのだ

○ 遥かにも思ひやるかな知らざりし 浦より遠に浦伝ひして    (源氏物語  明石の巻)

紫の上に送った手紙。今まで全く知らなかった須磨よりまだ遠いこの地に移ってきてあなたが恋しい。

○  ひとり寝は君も知りぬや  つれづれと思ひあかしのうらさびしさを     (源氏物語  明石の巻)

明石の入道が娘のことで、源氏に催促した手紙。毎日 寂しい気持ちでいる娘のさびしさを分かってくれますか?の意

○  明石潟色なき人の袖をみよ すずろに月も宿るものかは        (新古今集雑上   藤原秀能)

源氏がはじめて明石の岡辺にある家を訪ねたとき、十三夜の月が華やかに上がっていた。

「この歌をみれば、万葉集、古今集、新古今集の流れがわかりますね。新古今集は非常に技巧的ですね。
流されてきた源氏が明石の海岸で月をみている。色なきひととは、趣を解さない人、身分の低い人のことで、
私の袖には月が映っている という意味です」と先生は十首の歌の意味を説明してくださった。

「須磨のお月さまの歌を探しましたが、ないですねえ。源氏がはじめて明石の岡辺の家をたずねたとき、
十三夜の月が華やかにあがっていた  というのはありますが・・・」と言われ、

「それでも古典では今日のお天気にぴったりの文章が兼好法師の『徒然草』にあります」

花はさかりに月は隈なきをみるものかは。雨に向かいて月を恋い、たれこめて春の行方知らぬも、なほ、あわれになさけふかし・・

と 読まれて「桜の花は満開のときばかり、月は満月ばかりをみるものでしょうか・・・そうではないでしょう?!
雨の夜に月のことを想い、家に閉じこもって春の行方を知らないのも 豪華に咲いた桜花を詠んだ歌に劣ると
いうものではない・・といっています」と解説してくださった。
メンバーのひとり、I・Tさんは早速スマホで調べて「これは『徒然草』の137段にあるよ」と言った。

夕食は18:30から   宴もはたけなわになった19:45ころ お月さまが見えた!!今日は諦めていたのに・・

あくる日、私たちは明石に向かいました。「源氏物語」ゆかりの善楽寺を訪ねる。

善楽寺とは戒光院、実相院、円珠院の3つのお寺の総称である。その中の戒光院は「明石入道・浜辺の館」のあった
ところと言われ、境内には明石入道の碑が残されていた。片隅の保育所砂場近くには「光源氏古跡 明石の浦の松」
の碑があるが、その松は明治3年に焼失し、、現在は新しく植えつけられた松が育っています。(先生の資料から)

次に訪ねたのは無量光寺である。

光源氏が月見をした寺として知られ、境内に源氏屋敷、その南に源氏月見の松もあったそうです。またこの無量光寺には「源氏大明神」
という祠が残っている。かつて無量光寺の辺りは、芦や竹が生い茂り、大藪と呼ばれていた。人もあまり通らないたいへんなところで、寺
の土塀が連なる辺りは、竹に蔦がからまりあっていたそうです。

蔦の細道

光源氏が「浜辺の館」から、愛する明石の君の住む「岡辺の館」へ通った道が「蔦の細道」といわれる道である。無量光寺の門前には蔦の
細道の碑が立ち、今も往古の面影を残している。

岡辺の館

「岡辺の館跡」は神戸市西区櫓谷町松本にあったとされ「岡辺の館」跡として石塔が残っています。(以上 先生に頂いた資料から)

無量光寺には佐藤春夫のお墓があった。倉田百三は、ここに長期滞在して「出家とその弟子」を書き上げた。また、染色工芸家で
人間国宝の芦沢_介もよくここを訪ねたらしい。彼の作品や法然の書を飾った版画の掛け軸もよかった。

明石魚の棚へ。お昼は家庭料理「みつぼし」で。焼いた穴子と蒸したあなごが相乗りしている「あいのり丼」を食べた。「明石のタコは足が太くて
短いからおいしいのよ」とT・Mさんはたこめしを注文していた。食後解散となった。