古典を読む会

奈良に平家物語をたずねる

古典を読む会で奈良を訪ねることになった。先生はいつものように「平家物語」に登場する般若

寺、転害門、東大寺の参考資料を配ってくださった。

JR奈良駅に10:50に集合。古都奈良駅はやっぱり格調がある。

JR奈良駅

昨日までの雨はすっかりやんで今日は気持ちよい青空が見える。佐保川の所で先生は

「ここまでが昔は東大寺の境内だったのよ」と先生が説明してくださる。佐保川を渡って

京都に向かう街道(旧奈良〜京街道)に面したところにある奈良豆比古神社をたずねた。

この神社は万葉歌人としても有名な志貴の皇子を祀る神社である。

(志貴の皇子は天智天皇の第七皇子)

神社の人が説明してくださったのは

1 この神社には無形文化財の翁舞があること。(田楽 猿楽の発祥は浄人王からと伝えられている

 2 本殿裏の境内地に生育している樹齢1300年の樟の巨木があること。これを手で撫ぜると健康のパワーがもらえる。

 3 境内にある「児乃手柏」は葉っぱはどちらも表で、南北に向かって生えているので、昔はこれで方角がわかった。

般若寺

法性山般若寺(真言律宗)。道に面した均整のとれた美しい楼門(国宝)がまず目に入る。

楼門から中を覗くと高さ約14.2mの花崗岩製の十三重の塔(重文)も望める。寺の創建に

関しては諸説あるが、いずれにせよ756年(天宝勝宝8)の東大寺の古図に記されている

のでそれ以前の創建であることは間違いない。1180年(治承4)平重衡の南都焼き討ち

で消失したが、1253年(建長5)ごろ復興された。1333年(元弘3)大塔宮護良親王が

経櫃に隠れて賊兵の危難を免れたという話は有名である。近年は四季折々の花の寺として

知られている。(先生の参考資料から)

般若寺はコスモスが有名だが、この時期、境内には黒蝋梅や山吹が咲き、出口のところには白

いシランの花が可愛く咲いていた。



転害門

京街道に面した東大寺西面北方の門。かつては平城京の一条大路に面していた荘重な三間一

戸の八脚門で、東大寺創建当初のものである。鎌倉時代の初期に若干修理されたが、重衡の

焼き討ちにも、その後の三好、松永両氏の兵火にも焼け残り、天平時代の創建時の豪壮な姿を

今に留めている。大棟の天平時代の鬼瓦は新薬師寺の外にはない珍しいものである。

転害門とは手向山神社の転害会(てがいえ)が行われたことからその名があると言うが、平景清

が大仏供養の時、この門に隠れて源頼朝を狙ったことから「景清門」ともいう。景清は畠山重忠

に見破られて捕らえられたが、頼朝はその忠に感じて命を助けた。(先生の参考資料から)


転害門のバス停には「手貝門」と書いてあった。



戒壇院

大仏殿の西方。四天王像で有名。鑑真和上一行が戒律を流布したところ。創建は天宝勝宝7年
(755)9月、その後、再三の炎上で再建が行われた。(先生の資料から)

戒壇とは受戒の行われるところである。堂内には四天王(塑造)と多宝塔を安置してある。

広目天は釈迦の説法を記録するための筆と巻物を持っていて4人の中では一番ハンサムだとか。

俊乗堂

大仏殿の東、鐘楼の北西にあり、東大寺の再興につくした俊乗坊重源の木像の座像を安置している。

像は晩年の重源を写実的に彫刻したもので、上人の性格が強く感じられる。重源は1181年(養和元)

東大寺復興の大勧進職に任ぜられ、以来25年にわたって復興を尽くし、1206年(建永元)東大寺浄

土堂で86歳の多彩な生涯を閉じた。(先生の資料から)


重源は武家の出で密教と念仏の二つながらの行者だった。彼が宮廷から「造東大寺勧進帳」に補

せられたのは60歳のとき。以後その死にいたるまで身を粉して再建にあたった。

東大寺

聖武天皇が741年(天平13)諸国に国分寺建立の詔を発し、天平19年から大仏鋳造が始まり、

749年(天平勝宝元)10月鋳造が終わり、752年(天平勝宝4)大仏開眼供養が行われた。

1180年(治承4)平清盛は平重衡に命じ、東大寺を攻撃させた。このとき、大仏殿はじめ多くの

伽藍消失、大仏も損なわれた。翌年後白河法皇や九条兼実ら貴族、さらに多くの人々からの資金に

よって復興が始まり、俊乗坊重源が大仏修造、大仏殿再建に力を尽くした。1195年(建久6年)

大仏殿落慶供養会が行われた。供養会には頼朝が夫人北条政子とともに数万の軍勢を

率いて駆けつけ、幕府の威光を示した。(先生の資料から)

「因みに1195年に頼朝は征夷大将軍になっています。後白河法皇と頼朝の政治に関係があ

るわねえ」と先生は仰った。

東大寺は戦国時代1567年(永録10)三好勢と松永勢の戦場となり、大仏殿炎上、1691年(元禄4)

大仏修造完了。これが現在の大仏である。大仏殿は規模縮小して再建され1709年(宝永6)落慶供

養が行われた。1980年(昭和55)には数年にわたった昭和の大修理が終わった。
(先生の資料から)

豪壮な南大門は東大寺の正門。左右には運慶らが中心となり、69日間で完成させたと伝わる高さ

8mの金剛力士像(国宝)が安置されていた。

二月堂

お水取り(修二会)の行事で有名。お水取りには二月堂の前にある若狭井のお水を使うとか。

鹿がのんびりとくつろいでいる。木々の緑は鮮やかで、特にいろはもみじの若葉の色がきれい。


猿沢の池

池に写る興福寺五重塔や柳の緑 素晴らしい景観である。奈良八景のひとつに選ばれている。

この景色は奈良で最も人気のあるスポットで、セット販売される絵葉書にはこの景色が必ず

入っているそうだ。

近鉄とJRのグループにわかれて帰途についた。