第20回   古典を読む会

堅田めぐり

2013年秋の「古典を読む会」の旅行日程は12月1日〜2日 行先はびわ湖散策で「雄琴温泉・湯元館」に宿泊。参加者は11名

今回は先生も行かれるので嬉しい。幹事のI・Tさんから日程表と地図、先生が用意してくださった (『36 堅田十六夜の弁』

芭蕉全集より)などを配っていただいた。

12月1日朝、JR大阪駅でM・Rさんから「堅田めぐり」のプリントを頂く。 11時頃に堅田の駅に着いた。近江タクシーでヴォーリス教会

祥瑞寺を順番に訪ね、11:47に本堅田1丁目にある。海門山満月寺に着いた。快晴で眩しいほどである。

湖中に突出した浮御堂を眺める。満月寺は紫野大徳寺に属する。

995年 比叡山 横川恵心院に住した源信(恵心)僧都が、びわ湖を山上より眺め湖中に一宇を建立して、自ら一千体の阿弥陀仏

を刻んで「千仏閣」「千体仏堂」と称した。観音堂の聖観音座像は重要文化財である、ともらったパンフレットに書いてある。

東の方に伊吹山、三上山、長命寺山、西に比良連峰、比叡山などが見え、絶景であった。

芭蕉の句碑があった。

比良三上雪さしわたせ鷺の橋

錠あけて月差し入れよ浮御堂

古くより堅田は京都に近く、湖上交通の要地で、一休さん、蓮如上人、芭蕉、一茶、広重、北斎等が多くの詩歌、絵画を残している。

浮御堂から歩いて5分位のところに十六夜公園がった。公園の名は「十六夜」の日に芭蕉がここでお月見をしたことにちなむ。

中に「堅田十六夜の弁」の文学碑があって、元禄4年(1691)8月16日堅田の門人 竹内茂兵衛成秀の家で俳句の宴を催したと書かれていた。

わたし達もこの公園で、びわ湖や鏡山などを眺めながら おにぎりとお茶で「お昼の宴」を催した。

浜通りを歩いて居初氏庭園 (天然図画亭という茶庭)を訪ねる。お茶室の屋根はヨシ造りで1470年に建ったもの。お茶室の正面に

三上山、鏡山、衣笠山が見える。湖東の連山を借景に、枯山水の庭園で、あられ敷石の構成が特徴である。芭蕉と同時代の茶人

藤村庸軒と堅田郷士 北村幽安の合作。

JR京都行きに乗車。7分後雄琴温泉駅に着いた。ホテル湯元館の迎えの車でホテルに入った。一同、先生のお部屋でお話を聴く。

「今日はお天気がよくて『十六夜公園』にも行けてよかったですね。芭蕉は、堅田には元禄4年8月16日に来ています。15日、義仲寺の無名庵で中秋の

名月を賞した芭蕉は、翌日の十六夜には湖上を舟で堅田に至り、堅田の門人竹内茂兵衛成秀の家で遊びました」と言われた。

先生に頂いた資料「36 堅田十六夜の弁」を皆で朗読。

「望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀といふ人のうしろに至る。・・・」
以下略。


「今日、私たちが行って観てきたところで、十六夜の月を観ながら芭蕉たちも宴を催しました。『明けばまた秋の半ばも過ぎぬべし かたぶく月の惜しきのみかは』

と藤原定家の嘆息の言葉を借りて、十六夜の空を世に中にかけて、無常の観を芭蕉は言っていますが、秋のかたぶくのだけが惜しいのではなく、人生のはかなさ

を感じていますねえ」・・・「またこの『十六夜の弁の最後の句『錠あけて月さしいれよ浮御堂』 と 『やすやすといでていざよう月の雲』の句は、

その日、おもてなしをしてくれた竹内茂兵衛さんへのお礼の気持ちの句だったのですよ」と先生のレクチャーは面白い。わたし達は今日、訪ねた浮御堂、十六夜公園

で宴を催した芭蕉さんたちのお姿を目にしたように興奮してお部屋に帰った。

以前に「奥の細道」の講義を受けたとき 「芭蕉は元禄2年3月27日に江戸を出発して、9月6日大垣に着くまで、160日間、2.400キロメートルを歩き、元禄7年

(1694)まで推敲して「奥の細道」を完成させました。 3月(行く春や鳥啼き魚の目に泪) に始まり、9月 (蛤の二見に別れ行く秋ぞ) の対句になっています」

と言われたとき、芭蕉が大好きになったし、先生も大好きになった。

芭蕉の素晴らしい文章。「やがて月雲外に離れ出でて、金風、銀波、千体仏の光に映ず」なんて 浮御堂から見たびわ湖の情景を観てこのような表現ができるのか

「芭蕉の言霊が躰に沁みて、芭蕉を追って旅をしているというくらい芭蕉に傾倒している嵐山光太郎さんは「芭蕉の文章は和文、漢文を配しつつ、練り
に練った破格の構成で、芭蕉以前にはなく、芭蕉以降、真似しようとしてもできた人はいない」と絶賛しておられた。

あくる日、わたしたちは雄琴温泉駅からJR京都行に乗車、山科で塩津行に乗換え、彦根駅へ。駅前には彦根35万石の初代藩主井伊直政公の銅像が立っていた。

ひこにゃんに迎えられて彦根城へ。お堀にブラックスワンが「いらっしゃい」という顔をして懐かしげに寄ってきた。井伊直弼が17歳から32歳までの青年期を過ごした

「埋木舎」の前を通り「玄宮園」に行く。途中、桜が咲いていた。この桜は茨城県水戸市から寄贈されたもので、一年に2度花が咲く。

槻(けやき)御殿

井伊直弼はここで生まれた。けやき御殿の庭園部分を「玄宮園」、建物部分を「楽々園」という。

私たちは「玄宮園」に入る。広大な池水を中心に池中の島や入江に架かる9つの橋などにより、変化にとんだ回遊式庭園であった。

彦根城の近くの「亀屋」でお蕎麦の昼食をいただき、解散となった。